以前の小川下の店舗入口

小川下の歴史

和風の背景デザイン
和風の背景デザイン

終戦後に夫婦が始めた
草鍋小川下
最初は、
ちゃんこ鍋の店でした

大阪しろながたっぷりの草鍋
店内に飾っている力士の手形

戦後間も無い1947年に、
中国から復員した初代店主が、故郷の名を店名に冠し鍋屋としたのが始まりでした。

初代が中国で食べた鍋をちゃんこ鍋として提供したところ、相撲部屋を支える後援者の方々にご贔屓いただき、力士が集う店に。
今も力士の手形などが、店のあちこちに残っています。

その後、初代が試行錯誤して、鍋のレシピを完成させたのが約60年前。
そこから「草鍋」の名が一気に広まり、老若男女が集う店となりました。

今も変わらぬ味を求め、曽祖父母の代から通う常連さんが少なくありません。

装飾

小川下が創業当時から
大切にしていること

装飾
湯気感が伝わるイラスト
80年受け継がれた小川下の草鍋

草鍋を絶やさないこと

「草鍋を絶やさないで」との、初代夫婦の想いを受け継いでいる小川下。
中国発祥、大阪・九条育ちの鍋を受け継ぎ80年。創業夫婦~妹夫婦~現在へ、その味を守り続けています。

湯気感が伝わるイラスト
辛子醤油でいただく草鍋

変わらぬ味

現在のレシピが完成した60年ほど前から、ずっと同じ味を守り続けてきた当店の草鍋。
味の決め手は秘伝の出汁。またそれをカラシ醤油でいただくスタイルも創業時から変わりません。

湯気感が伝わるイラスト
昭和の雰囲気を残した店内

創業時の雰囲気を残す店内

創業時から今の場所に店を構えている小川下。
実は戦前からの建物を使い続けています。
耐震のため2024年に大改修をしたものの、あえて創業当時の昭和な雰囲気を残した店内に。初代が書いた手書きのメニューや屋久杉のテーブルも、当時のまま使われています。

湯気感が伝わるイラスト
小川下の看板じぃじ

草鍋の仕上げはお店にお任せ

浅い鍋に大阪しろなを山盛りにした草鍋は、崩さず上手に火を通すのにちょっとコツが必要です。
常連さんは慣れたものですが、初めてのお客様は店員にお声がけを。“看板じぃじ”もお手伝いいたします。

和風の背景デザイン
和風の背景デザイン
装飾

小川下(喜多呂)
創業からの歴史

装飾

1947

昭和22年

昭和時代の小川下店舗外観

現在の地で創業

終戦後、香川県の小川下(こかげ)集落出身の横山誠一が、商売を始めるために大阪・九条へやってきました。

九条は大阪府庁・市庁舎や外国人居留地、遊郭があったことから、戦前は「西の心斎橋」と呼ばれるほど栄え、戦後も空襲をまぬがれた建物が多く残っていたからです。集落の人に可愛がられた誠一は、昭和22年に「小川下」を創業。貯水地の建設により水没した最愛の故郷を偲び、名付けられました。

1948~

昭和20年代

店内で食事をする様子

ちゃんこ鍋の店として
力士で賑わう

戦時中は、騎馬隊の斥候(せっこう)として中国を駆けていた誠一。

その当時の仲間が大阪で相撲部屋の支援をしていた縁から、店には多くの力士が集うようになりました。
誠一が中国で食べた味を再現した鍋も、創業当初は「ちゃんこ鍋」として提供していたのです。

1965

昭和40年

小川下の店外看板

草鍋のレシピが完成

誠一が中国で食べたのは、青梗菜をメインとした少し辛味のある鍋だと伝わっています。

その味を日本人に合わせて少しまろやかに仕立て直したのが現在の草鍋レシピ。
秘伝の出汁に大阪しろなを入れて、カラシ醤油で食べる小川下だけのスタイルが確立されました。

1985~

昭和60年代

メディアに出演した際の切り抜き

「草鍋」の名が広まる

店の名物として人気を博したちゃんこ鍋。

ところが野菜たっぷりの見た目から、次第にお客様が「草鍋」と呼ぶようになりその名が定着。
あわせて小川下はメディアにも登場する人気店となりました。

1987~

昭和60年代

初代夫婦の写真

初代の活躍

当時、店の看板としてテレビや雑誌に登場していたのが、初代女将であり、誠一の妻・美栄です。九条のお好み焼き屋の娘であった美栄は、誠一より12歳年下でチャキチャキとしたしっかり者。そこに惚れ込んだ誠一が、熱心に口説き落として二人は結婚しました。

一方の誠一は、あごヒゲと作務衣姿がトレードマークの初代店主として、常連客に愛され敬われる存在に。釣りが趣味なあまり、当時は毎月第3月曜~金曜は店を閉め、白浜や四国に出かけていたそうです。

2014

平成26年

初代女将・美栄

「草鍋 小川下」閉店

平成初期に初代誠一が亡くなり、美栄が女将として店を切り盛りしていました。
時の流れとともに美栄も高齢となり、店を続けることが難しくなっていきます。こうして、多くの常連客から惜しまれながらも、「小川下」は店を畳むことに。

2015

平成27年

居酒屋㐂多呂として再開した店舗外観

「居酒屋 喜多呂」として
店を再開

美栄の妹である富喜子は、連れ合いである田中達等と九条で「居酒屋 喜多呂(きたろ/㐂多呂)」を開いていました。

しかし小川下の常連客から草鍋を惜しむ声が多数寄せられたこと、美栄の「草鍋を絶やしたくない」という思いから、小川下があった場所に移転して店を継承することに。
ただし喜多呂も流行りの店だったことから、店名はこちらを使うことになりました。

2019~

令和元年

㐂多呂看板

コロナ禍を機に休業

草鍋を名物メニューに掲げた喜多呂(㐂多呂)。
コロナ禍では休業を余儀なくされました。
2022年(令和4年)9月に店を再開したものの、富喜子が亡くなったことで再び一時休業。店の老朽化問題も浮かび上がってきました。

2024~

令和6年3月

本日はダイアンなり!シーズン2出演写真
看板じぃじ

店を大改修して本格再開

1年かけて躯体工事を行い、店の雰囲気はそのままに生まれ変わった喜多呂。
現在は“看板じぃじ”とともに店を切り盛りしています。

さらに、創業時の屋号である「草鍋 小川下」の名前を復活させようと、
次の時代へ向けた歩みも始まっています。

和風の背景デザイン
和風の背景デザイン
和風の背景デザイン
和風の背景デザイン
装飾

メディア出演

装飾
2025年3月放送のNHK「ほっと関西サタデー」出演画像

2025年3月

NHK
ほっと関西サタデー出演

2025年1月発行「Metrono」掲載ページ

2025年1月

Osaka Metroの沿線情報誌
 Metronoに掲載

2022年11月放送の朝日放送「
本日はダイアンなり!シーズン2」出演画像

2022年11月

朝日放送
本日はダイアンなり!シーズン2出演

2015年9月発行の朝日新聞掲載ページ

2015年9月

朝日新聞に掲載

※ライター・井上理津子 執筆

1996年12月放送の関西テレビ「関西名店味ぬすみ」出演画像

1996年12月

関西テレビ
関西名店味ぬすみ出演

1996年11月放送の朝日放送テレビ「おはよう朝日です」出演画像

1996年11月

朝日放送テレビ
おはよう朝日です出演

テレビ朝日「これは知ってナイト」出演画像

1993~1995年頃

テレビ朝日
これは知ってナイト出演

NHK土曜ドラマ「とおせんぼ通り」出演者のサイン

1992年12月

NHK土曜ドラマ
とおせんぼ通り
ドラマの舞台にて使用

※写真は松村雄基ら出演者のサイン

1987年2月放送の読売テレビ「おもしろサンデー」出演画像

1987年2月

読売テレビ
おもしろサンデー出演